なぜ「COSMO」なのか?刺しゅう糸ブランド誕生の秘話 - COSMO コスモ

なぜ「COSMO」なのか?刺しゅう糸ブランド誕生の秘話

COSMOという名前の由来——京都から生まれた刺しゅう糸の物語

手芸店の棚に並ぶCOSMO®刺しゅう糸。鮮やかな色とりどりの糸が整然と並ぶその光景は、いまや世界中のハンドメイド愛好家にとってなじみ深いものとなっています。

でも、「COSMO」というブランド名の由来や、この糸が京都で生まれた背景を知っている人は、意外と少ないかもしれません。

「COSMO」の名前はいつから?

COSMOブランドの刺しゅう糸の歴史は、戦前にまでさかのぼります。ルシアン創業者の野村直三は1929年(昭和4年)に田中兄弟商会を立ち上げ、1933年(昭和8年)2月に野村商店を立ち上げましたが、田中兄弟商会の頃からコスモ株式会社(大阪市 1924年5月20日、大正13年創業)との取引があったと記録されています。つまり、COSMO®はもともとは外部の製造元が手がけていた糸でしたが、1945年の終戦年に、コスモ株式会社からブランド名、設備一式を買い取ります。(出典:華やかなる歩みの陰に―下巻―ルシアン野村40年の軌跡 1987)1960年代に入ると、ルシアン(当時の野村株式会社)の常務であった野村直晴が権利関係も含め整理を実施しました。
刺しゅう糸の市場では、COSMOはすでに高い知名度を持り、首位の売上を誇っていました。ファンの年齢層は幅広く、ホビー・クラフトの世界でその名は着実に浸透していた。だからこそ、ブランドとしての一体的な管理と、商品のイメージ戦略が急務になっていたのです。

1968年、京都でCOSMOが「自分たちの糸」になった

転機は1968年(昭和43年)9月に訪れます。野村株式会社は正式にCOSMO®の商標権を取得。同時に、英国・KDG社製の刺しゅう糸加工機4台を導入しました。
この加工機がすぐれものでした。カセ(束)の状態から、ラベルの貼り付け・箱詰め・包装にいたるまで、それまで複数の工程に分かれていた作業を一台でこなす仕組みになっていたのです。職人の手と機械の精度が融合し、ひとつひとつの糸の品質を安定させる体制がここで整いました。
こうしてCOSMO®は、ただの商品名から「ルシアンが責任を持って世に届ける糸」へと生まれ変わったのです。

なぜ「COSMO」なのか——宇宙のように広がる色彩

COSMO(コスモ)という言葉には「宇宙」「秩序ある世界」という意味があります。刺しゅう糸のブランド名としてこれほど似つかわしい言葉はないかもしれません。
COSMOが誇るのは、その圧倒的な色数です。微妙なグラデーションを含む豊富なカラーラインナップは、まるで夜空に広がる星のように、作り手の想像力をどこまでも連れていってくれます。「この色が欲しい」と思ったとき、COSMOの糸棚には必ずその答えがある——そう感じているユーザーは世界中にいます。

色彩への情熱——京都から世界へ

1979年(昭和54年)、ルシアンは京都・烏丸通りにルシアン アーツ(のちのルシアン・カレッジ)を設立します。その背景には、担当者がアメリカ・バーモント州のシェルバーン博物館でパッチワークキルトに出会い、深い感動を覚えたという体験がありました。
「なんと力強い、新鮮な美しさなんやろ。西部開拓時代の厳しい暮らしのなかで、女性が家族へ手から手へと継いできた……」
その感動が「3C」というコンセプトに結実します。Community(つながり)・Culture(文化)・Creativity(創造性)——刺しゅうやパッチワークを通じて、人と人が出会い、色彩感覚を磨き、何かを生み出す喜びを分かち合う場をつくりたい。それがルシアン・カレッジの精神であり、今日のCOSMO®にも受け継がれている思想です。

糸一本に込められた、長い時間

COSMO®の刺しゅう糸を手に取るとき、そこには60年以上にわたる歴史が詰まっています。商標権を自分たちの手に取り戻し、加工機を導入し、色彩文化の発信拠点を京都に構え——その一つひとつの決断が積み重なって、いまのCOSMOがあります。
針に糸を通すとき、あなたはその長い物語の続きを紡いでいます。

この記事で紹介した糸を見る

今回の記事でご紹介したCOSMO®の刺しゅう糸は、以下からご覧いただけます。

COSMO® 25番刺しゅう糸 コレクションを見る →

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